2010年3月30日火曜日

日本の将来

「潮流」は日本は経済の上位八ヶ国にとどまるとしていますが、2050年にはもっと下がるとの予測があります。日本は「ミドルパワー」の立場を保てますか。

ミドルパワーではあり続けると考えますが地位は下がるでしょう。国際的な地位が下がれば国内社会に心理的問題が生じるのが歴史の常で、第二次大戦後の英国がそうでした。日本も向き合わなければなりません。日本は優れた技術を膨大に持っており高齢化社会でどう相対的に活気を保つかの道筋を示すことになるかもしれません。(マシュー・バローズ 米国家情報協議会(NIC)顧問)

朝日新聞朝刊 新世界 国の興亡からの引用だが、共鳴できることが多い。医療システムの不備で50〜60才代の死亡率が高くロシヤの人口が伸びないことは知らなかった。これが理由でGDPが日本以下。これは意識するべきことと思う。

2010年3月28日日曜日

進化したTwitBird Pro





Twitterのクライアントアプリとして定評のあるアプリ。アップデートされていろいろ使い勝手がよくなった。個人的には文字の大きさを変えられることがお気に入りだ。老眼なので読みやすくなった。写真の文字よりも大きくできるが、iPhoneの画面では読める数が少なくなるので、この程度にした。不評だった振動と音も消すことができる。

2010年3月27日土曜日

道祖神巡り


この地区の旧家が守ってきた神社の入り口にある。昔はもっと情緒があったが、いまはこれだ。この旧家を含めて付近一帯を区画整理して宅地化した。去年、まだ若い主人がなくなったのは、こんなにまで先祖からの土地を壊したからだと噂されている。この旧家の大きな門扉は、市の公園に移設されている。

2010年3月26日金曜日

二伝寺 鎌倉


私たち夫婦が死ねば、骨をここに収めることにしている。鎌倉の光明寺の末寺で1505年に北条氏時により建立された。裏山には、平良分、忠光、忠道の塚がある。桜は、寺の前庭に咲いてた。たぶん緋寒桜だろう。

2010年3月24日水曜日

日経新聞 電子版


産経新聞に続いて日本経済新聞も電子版を配信し始めた。有料が基本だが、限定された内容ながら無料でも閲覧できる。紙の新聞がなくなれば、新聞配達所の営業が脅かされるだけでなく、新聞社自身にも大きな影響があるはず 。紙面広告による収入がなくなる。アメリカでも新聞の廃刊が続いている。電子版でのビジネスモデルを模索しているが、まだ確立していないようだ。

2010年3月22日月曜日

Hootsuite Twitter アプリ






Twitterを使っていると長い文章がポストできないということに不満を感じることがある。時間を決めていっきに送信できないかと思案してた。調べているうちに見つかったのがこれ。複数のtweetsを同時に送信できるかどうかはまだ分からない。

Twitterクライアントソフトとしては、多機能で複数のアカウントも処理できる。




Twitterの検索機能を使って個別のTLを作れることも判った。これは非常に便利.興味のある話題別にタイムラインを作れば時間を節約できる。これはもともといろいろなsocial networkのソフトとして開発され、最近iPhone用に改良されたようだ。使い勝手がいいはずだ。

2010年3月20日土曜日

TableSheet アプリ


簡単な表計算ができるアプリがある。投資信託などの配当金が銀行から知らせてくるが年間いくらになっているのか計算したこよがない。iPhoneできるなら手軽だろうと思い探してみた。このアプリは縦の合計しかできないが、これで十分だ。無料なのも良い。欠点は、すこし日本語に弱いこと。

2010年3月19日金曜日

土地区画整理







今朝もスーパー銭湯に向かった。歩いていると、この光景に出会った。区画整理のために植え替えられていた巨木だ。たぶん鎌倉時代まで遡れる歴史的にも価値のある巨木だろう。この付近にはこれに匹敵する巨木があったが、ほとんどが切り倒された。風光明美とまでは言わないがみどりが豊かな土地だった。特に、写真に写っている所は、夏の朝クワガタを取りに行っていたほど自然が豊かなだった。だが、全てを切り刻んじて宅地に変えてしまった。宅地の数も膨大で一体購入して入居する人がいるのだろうかと疑いたくなるほどだ。

今朝の新聞では地価が下がっていることを報じていた。人口が減少している日本で住宅地を造成する事業は経済的にペイするのか疑問だ。事実、この付近ではたくさんの土地が売り出されているがなかなか売れていない。税金で住宅地を造成しても売れなければ、固定資産税も入らず市の財政は頻拍し、市民は高い税金を払い続けることになる。一体誰が徳をしているのだろうか。知っている限り、土地を提供して立ち退き料をもらった人以外はすべて損をしている。こんな事を日本全体で行っているならば、コメンテーター 藤巻健史の言うとおり「日本は財政赤字で破綻するかもしれない」。


2010年3月17日水曜日

Twitterのブログ




iPhoneとTwitterは相性が良い。メール感覚でポストできる手軽さから爆発的に普及が進んでいる。ところが、140文字という制限があるので、言い足りないことがある。連続してポストして全体を読めば立派な記事にできる。それを可能にしてくれたのがこのブログサービスだ。Twitterの一日分を一括して表示してくれる。これビジネスにも利用できると思う。顧客訪問報告書がその一例。携帯電話でTwitterすれば立派な報告書になる。しかも無料!!

ツイッターの利用者は爆発的に増えているようだ。書店に並んでいるツイッター関連の本が一気に増えた。このサービスがあることを知ったのも立ち読みした本だった。2ちゃんねるのようなものと誤解している人もいるようだ。英字新聞、月刊誌やブログも対応しはじめた。読んだら勉強になると思うものはTweetして、このブログ入れておけば参考文献集にもできるから便利だ。

2010年3月14日日曜日

道祖神巡り



藤沢駅から歩いて行けるところの川沿にあるやや規模の大きな道祖神塚。5枚の写真をつなげてパノラマ写真がうまく作れた。確かめてはいないが、鎌倉古道ともつながり、遊行寺への参道であったと思う。鎌倉時代から多くの人がこの前を歩いたのだろう。

2010年3月12日金曜日

アップルジャパン 前代表取締役社長 山元賢治氏 講演

Apple Announces Launch Of New Tablet Computer


ップルジャパン 前代表取締役社長 山元賢治氏の神戸大学での講演記録より以下抜粋。

多数のNo.1レベルの人間が1990年代の日本を超える為に、IT業界へなだれ込んできました。彼らのやり方は徹底的に同じような教育をして優秀な人間を育て、同じオペレーションをやるという凄い強みがあります。

学ぶことが一杯あります。日本人の私が勤めていてもたくさんのことを学びました。その学んだことを日本でうまく使えばいいと思っています。私は今だにIBMで教えてもらったスタイルで、いろんなビジネスのマネージメントをやっています。

それからハードウエアとソフトウェアがあります。日本人は本当にハードウエアに強いのですが、ソフトウェアに弱いということです。

韓国と日本だけらしいのですが、2チャンネルがあったり人の悪口を書くなど、自分の陰気な精神構造のはけ口にインターネットを使っていることです。世界ではもっと自分の意見や研究をアピールするために、インターネットを使っています。

アメリカでも多くの議論がなされたそうです。このまま黒板に書いて、ノートに写させるだけの授業をしていたら、こも子たちの将来を潰すのは自分たちではないかという議論を真剣にしたようです。政府も真剣に考えています。アメリカ人に残るクリエイティブな仕事は何だろうということです。日本でも白書はたくさんでていますが、実際に何がどうなるのかはよくわかりません。

英語もやっておかなくてばなりません。中国では今後10年間で英語を話す人口が、アメリカを越えると言われているし、インドではすでに全員が英語を話します。私と同じように下手で訛ってはいますが、ヒァリングは日本人の何倍も上で、悔しいですが完全に聞き取っています。英語もそうですが、学生の間に習得しておくべきスキルを会社に来てからやっているという日本の幼稚性を、せめて私の後輩の神戸大学生はクリアしていただきたいと思います。会社にお金を出してもらって、夕方ボランティア教育で英語を勉強している人も多いですが、完全に甘えですね。その間に英語をしゃべれる同期の皆は違う勉強ができます。必要なければ勉強しなくても構いませんが、企業に入って必要と思うスキルを学生の間に身につけるのは当たり前です。本を読んで勉強できるのは学生までです。企業に入るとインデックスが必要になります。この問題はどの先輩に聞くと効率的に正しく教えてもらえるかというインデックシングする能力が必要になってきます。今、皆さんの周りでもできると思いますが、誰はどういう能力に長けているかを見抜く力です。

教育に飽和というのはありません。皆さんの脳みそが受け入れる限り、詰め込んで死ぬまで勉強した方がいいです。人間は死ぬまで勉強するように神様は作っていると思います。嫉妬もあり醜い面もあるわけですから、ずっと勉強して死ぬべきだと思います。

大事なのは、己さえ良ければいいと云っている会社は面白ほど潰れるということです。儲けた人間は社会に貢献しなくてなりません。ECOに貢献したり、恵まれない人を助けたり、個人を尊重するというようにして地球は回っています。こういうことを考えれいる企業は長持ちして、結局高い利益を上げることもっとひどいのは 、あまりにも携帯電話が便利なので、「Face to Face」で話ができない人が多いということです。本当に話が伝わるのは電話で3割,メールで1割だと言われています。大切な企業を相手に何百億、何千億、何兆円と動かすビジネスで、Eメールでしかコミュニケーションできない人は採用できないのです。これは事務系でも技術系でも関係ありません。コミュニケーションができない人を採用したら会社は潰れます。技術系の人は特に覚えておいてください。技術系の人のメールは特にやばいです。悪い話ほど、技術系の人は連絡するのが遅いのです。

大きな奇跡や感動を起こすのは、人間の力しかないからですね。最後に涙するというのは、ほとんど人間の力です。それくらい人間というのはすばらしい。その人間の素晴らしさを表現するのは、コミュニケーションの力だと思います。

2010年3月5日金曜日

北斎館 小布施





今日小布施の北斎館を訪ねて、この浮世絵(Art Enviより)の本物を見て来た。浮世絵の制作工程がいかに複雑かを再認識させられた。それはさておき、80才を超えていたにもかかわらず、北斎が江戸から240キロ離れた小布施に来て 創作活動をしたのかその経緯を知り大変興味深かった。

小布施は、江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)が晩年に逗留し、画業の集大成をはかった特別な場所です。北斎は80代半ば、郷土の豪商・高井鴻山(1806-83)の庇護のもとに、岩松院や東町・上町祭屋台の天井絵を描き遺しました。当時の小布施は、繁栄を誇り、北斎をはじめ当代の文人を惹きつける魅力ある町でした。(北斎館パンフレットより)

江戸遊学時代に交流のあった画家・葛飾北斎(宝歴10年~寛永2年)が、鴻山を訪ねて小布施へやって来たのは天保13年(1842)の秋。80才を超えた老画家が、はるばる小布施を訪れた理由には諸説があるが、天保の改革の過激な取り締まりを避け、北斎芸術の良き理解者であり、経済的な支援者としても頼もしい鴻山のもとへ、身を寄せたと考えるのが妥当であろう。北斎はその後再三にわたって来訪し、鴻山が提供した「碧一軒」をアトリエに、数々の肉筆画の傑作や鴻山との合作を残した。鴻山は北斎を師と仰いで尊敬し、北斎は鴻山を「旦那様」と呼ぶ、折り目ある交流が続いたと伝えられている。(高井鴻山記念館パンフレットより引用)

北斎は浮世絵師として名声を博したことは知っていたが、絵画を志す人たちのために戯れ画を制作していた。その一つひとつを見ると、彼の絵画に対する高い志しが判る。フランス、パリの若い画家たちにまで感銘を与えたのだが、その才能は在世していた時には認められていなかった。そんなことを知るよい半日だった。

2010年3月3日水曜日

写真アプリ Limoシリーズ

久しぶりにアプリをダウンロード。二種類あるが無料で結構使える。幻想的な雰囲気が出て独特な画像になる。説明によるとウイーンで流行ったものらしい。

これは画像の中の赤色だけを残す処理。元写真を意識して撮れば面白いものになるだろう。