空港の近くホテルの名前も忘れ、車で帰る道に迷い、大変なことに
なった。いろいろな人に訪ねたが、ホテルの名前を言えないので
誰も助けにならなかった。最後に立ち寄った銀行で英語を話せる人
が空港までの道のりを教えてくれた。空港からの道は知っていたので、
無事ホテル(Renaissance,Zurich Hotel)に帰ることができた。
ジュネーブからドライブを始めて三週間もスイスをうろうろと旅を
していたので、旅慣れてしまったのだろう。ホテルをでる時に
パンフレットを持たなかったのが失敗の原因だ。
この葉書は、そんな失敗を思い出させてくれた。
最近は昔の書類や本を整理している。そこで見つかったのが、
19日間のスイスのドライブ旅行の記録だ。その中にこの絵葉書が
あった。
旅行メモから主な訪問先とイベントを以下に記録として残す。
1999年
9月6日 ウイーン着。スイス、ジュネーブ行の便がキャンセルされた。
乗り換えカウンターで別便を予約。17:40発小型便で
ジュネーブ到着。
キャンセルされた便に載せられる事になっていた荷物が
到着せず、翌日ホテルへの配達手続きをして
手ぶらで電車でホテルへ。
9月7日 予約したレンタカーでレマン湖の西海岸をドライブ。湖畔の
ヨットハーバーで昼食。フランス語しかできない店員で
注文がすこし手間取ったが、食事中に白鳥がテーブルの下
に来る雰囲気で満足。
ホテルに荷物が到着するまで時間があるので、予約なしで
ISO事務局を訪問。受付で事情を説明すると快く受け付けてくれ、
図書室責任者が事務局を案内してくれた。
立派な事務所だと期待していたが、旧式のビルでその質素さに
驚いた。この事務所を訪ねた日本人は私が始めてだと説明された。
ホテルの帰ると荷物が着いていた。スイスへの信頼感が一気に
上がった。
9月8日 ジュネーブを出発し、ローザンヌ、モントレ、シオン城を見学。
田舎町モントギイでスパゲッティの昼食。SLONのInfoの事務所で
宿の紹介を受け、ぶどう畑の中にある一軒宿に泊まる。
宿の主人が勧めるステーキで夕食。東洋人が珍しいのか
老人のおばさんがニコニコと話しかけてきたが、
フランス語が分からず笑顔で応対のみ。
9月9日 マッターホルンに登るために一番下の町Tarshに車を置き、
チェルマットで乗り換えて登山電車で一気にマッターホルン。
展望台を歩いていると気圧の低下で気分が悪くなる。
昼食を取った町チェルマットは日本人や観光客が多く
騒々しいので、登山具ショップで携帯バーナーの
燃料を買った後早々に電車に乗り下山。
車を置いている町は、別荘地で民宿はないことがわかり、
City Hotelに宿泊することにした。スーパーで買い物を
したときにユーロとスイスフランの値札を見た。
9月10日朝食後、Grindelwaldに向かう。途中アルプスの峠を
超えたが、急な坂道でゴルフではきつかった。
記録では、8:10出発-13:15着となっている。昼食をとってから
Infoで宿探し。宿に入り荷物を下ろし部屋からしばらくアイガーの
北壁を眺めてから、近くの小さなスーパーでワインや夕食の材料を
仕入れた。ATMでCityBankから現金を引き出す。
簡単な夕食を摂り終わると、ワインを飲みながら
北壁を眺めていた。アルプス鉄道の駅の窓から
ちらちらと漏れる光を感動しながら何時までも見ていた。
Glendelwaldの魅力を日本人が伝えるビデオ。氷河の話も出てくる。
9月11日 午前、Oberer氷河に登る。氷河の先端が垂直にそそり立つ
壁に付けられた木製の階段を30分程かけて登った。氷河は
溶けて後退するのでこの階段は付け替えている。
氷上はものすごく寒かった。寒さに耐えられる服装ではなかった。
携帯のバーナーでお湯を沸かし、コーヒーを入れた。
氷河の洞窟にもお金を払うと入れたが、寒さに耐えられないので
諦めた。
午後は、ロープウエーに乗ってFirstに登る。アイガーを目の前にして
ビールで乾杯。ビデオにあるような場所が、Grundelwaldの世界で
あまりにも素晴らしいので滞在を延ばすことを決めた。
9月12日 登山電車に乗ってクライネシャイデックに登り、そこからアイガーの
真下を通り牧場の中を歩いてGrindelwaldまで5時間の
ハイキング。牧場の写真を撮ったが見つけていない。
アルプスのどかさを満喫して生き返った。夕食はレストランで。
(続く)
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