2010年5月8日土曜日

PowerBook 2400c/240


PowerBook 2400cはPowerBook 100以来のサブノート型で、当時の日本IBM(日本IBM大和事業所)と共同で開発され、製造も当時ThinkPad 535を製造していた日本IBM藤沢事業所が担当した[1]。フロッピードライブは外付けの付属品であり、光学ドライブは付属していない。

後にCPUをPowerPC 603e 240MHzにアップグレードし熱対策やネジの脱落防止策が施されたPowerBook 2400c/240(開発コードネーム:Mighty Cat)が1998年4月発売された[2]。

PowerBook2400c/240は日本のモバイラー向けに開発されたマシンであるため、米国では販売されてなかった(PowerBook 2400c/180は米国でも販売されたが、売り上げは僅か5千台程度であった)。

全シリーズの累計出荷台数が7万台程度と少なく、またクリックボタンの不良やCPUが熱で破損する等の不具合も多く発生したためにアップルでは失敗と見なされ、二度とターゲットを地域限定としたモデルが開発されることはないと言われている。(Wikiより引用)

何年も使っていないが難なく起動した。液晶パネルのゴム部品は劣化し、粘着材のように溶けていた。こんなになるまで頑張ってきたノートパソコンを捨てる気にはなれない。これを使って講習や講演をした数は数えきれない。起動できなくなり本当に死んだら捨てようと考えている。「愛着を持つ」とはこのようなことなのだろう。ソファーと同じで捨てる気分になれない。いずれ紹介するつもりだが、Macの古いマシン3台も捨てずに持ち続けている。何も感じることなくWindowsマシンを捨てたり孫にやってしまったりしたが、Macはそれができない。説明できないが、古くなって役に立たないと分かっていても所有しておきたい気持ちにさせる何かがMacにはあるように感じる。

 話は変わる。いくつものホームページやブログを開設して日々更新しているが、通信はISDNをいまだに使っている。テキストの送受信ならば特に不便を感じなかったからだ。ところが、女房がパソコン教室でネットを体験し、我が家のネット接続は遅いと言い出した。そこで仕方がないので、ADSLに切り替えることに決めた。これとてMacマシンと同じで、古いものでも使い慣れたものには捨てがたいものがある。ISDNが、世に出たとき、定額制ではなかった。だから、定額制にしろとホームページで訴えたことをいまも覚えている。それは叶えられた。光にしたいのがNTTなど通信業者だが、一体それで何がよくなるのかよくわからない。東京電力も光ファイバーを設置していることを知っている。だが、どのように使うのかが分からない。光ファイバー製造業者と通信業者の利益を優先し、総務省の役人の天下り先を確保しただけとしたとしか思えない。

 地上デジタル放送も同じだ。無節操なテレビ番組を相変わらず垂れ流し、一体どのような価値を視聴者に与えてくれるのかがよく分からない。切り替えた時の経験から判断して、地デジに切り替えると、テレビさえみることが出来ないひとが続出するだろう。薄型テレビ製造者やその関係者が国民の税金をうまく使っただけの話だ。先端技術は、必ずしも人の為にはならないことに気づくべきだ。

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