2009年11月30日月曜日

ウエスト・ポイント、ニューヨーク

Reagan Salutes Army

マンハッタンから車で2時間程の所にある有名な陸軍士官学校。ここも好きな場所の一つでここに写っているレーガン大統領の時代に二度程訪れたことがある。子供のころに見た戦争映画ですごい所だとイメージしていた。アメリカ中から優れた人材が軍隊に関する教育を受けている。上の写真は建物の中庭。ここで学生たちが行進している姿を一般の人も自由に見学できる。

今日、オバマ大統領がここで演説し、アフガニスタンへの増派を表明する予定。だから、ここの事を思い出した。多分2-3万人の軍隊を増派するのだろうが、そんなことでアフガン戦争を終わらせることはできないと思う。アフガンとイラン国境で経験したが、砂嵐が来るとまさに一寸先が見えない。タリバンは、それを利用して山岳地帯を移動し、多国籍軍を襲うことができる。これはベトナム戦争と同じで、現地の地理と気象を活用したゲリラ戦になる。多国籍軍の方が不利だ。いずれ厭戦ムードが広がり、退却せざるを得なくなるという思いが強い。

2009年11月25日水曜日

ミンクの毛皮に反対

Tattooed Model Stages PETA Protest In Sydney




昨日、オーストラリアのシドニーで毛皮を製造することによって
被害を受けている動物を愛護するように訴えるために
こんな姿でデモった女性がいたようです。「刺青はインク。
ミンクではない」とビラに書いている。考えたら、オーストラリアは
いま夏だからヌードでも寒くない。

2009年11月19日木曜日

カルロヴィ・ヴァリ、チェコ




カルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)は、チェコ・ボヘミア西部の都市。ドイツ名のカールスバート (Karlsbad, Carlsbad)という呼称もよく知られる。人口は52,022人(2003年)。世界的に有名な温泉地。

周辺のカルロヴィ・ヴァリ山塊に水源をもつ鉱泉(泉温43~73度)は、飲用・浴用として用いられている。交通網の整備が進むにつれて、各地から著名人が訪れるようになった。ゲーテ、シラー、ベートーヴェン、ゴーゴリ、ショパンなどが同都市に滞在しており、それを記念した碑が至る所で見られる。

1950年から一年置きに、国際映画祭「カルロヴィ・ヴァリ映画祭」が開かれる。日本は1954年から参加しており、参加した初年度に「原爆の子」が平和賞を受けた。

現在はロシア資本が多く流入し、チェコ語、英語のほか、ロシア語による情報も充実している。


私たちが訪れた時に丁度映画祭が開催されていた。町中は沢山の観光客と映画祭の関係者でごった返していた。いろいろな温泉水を飲んだ。すっかり楽しんだが、その後でとんでもないことが起きた。だから、この町を忘れることはできない。

2009年11月12日木曜日

オバマ大統領のつぶやき



やっと探し出したオバマ大統領のTwitterのID。何と本名をそのまま使っているのだ。でも、本人が書き込み、読んでいるのだろうかと思った。
本屋で見つけた単行本を読んでわかったが、やはり側近が受け答えしているようだ。大統領選挙選では、投稿者に即返事をしたことが好結果を生んだとのこと。











これでわかるように,フォロワーは260万人余、フォローしているのが75万人。こんなに多数のつぶやきを一体どうして処理するのか知りたくなった。

Twitterの本でも書いているが、WebやBlogは時代遅れとなった。いまやTwitterの超新鮮な情報が普及すると思う。しかも、英語よりも日本語に都合がよい。短歌になじんできた日本人向きだ。

2009年11月9日月曜日

プラハ城

Prague Cathedral


テレビでプラハ城の教会内部を紹介していた。素晴らしいステンドグラスで飾られていた。名前は忘れたが有名な作家が作ったとのこと。残念ながら、教会の中には入れなかったので、知らなかった。今年は、プラハが注目されたことが多かった。オバマ大統領が無核兵器宣言をした。チェコの大統領がEUのなんとか条約にサインした。経済危機の影響がひどく、失業率が高まった。などなどだ。プラハは世界で一番美しい街だと言われているが、その通りだ。もういちどプラハのビールを飲みたい。決して上手だとは言えないが、ビール飲みを楽しくさせてくれた楽団の音楽も聞きたい。

2009年11月5日木曜日

曾野綾子氏

Triumph International Japan Creates The Post Privatization Underwear


亀井金融・郵政担当相が「談合はしてもいい」など得るせないこと言った。強引に西川社長を退任させて元官僚を社長に据えるなど不愉快極まりない。曾野綾子氏を社外重訳に据えた経緯を氏自信が次のように述べている。

「この原稿は11月2日(月)午前9時に書いている。
私が株式会社日本郵政の社外取締役として働けという内々の意向を亀井静香金融・郵政担当相から受けたのは10月9日。あまり唐突なことなので、当然のことだが、私は即答できなかった。3日後にはエジプトに行くことになっていたから、とにかく帰国後にと申し上げて、私は金融庁を辞した。
帰国は24日の土曜日。翌日曜日の午前10頃大臣からお電話があり、午後斎藤次郎社長と私の家に来られた。それが「正式な内諾」の手順であつた。
私がお二人に確かめたことは「もし私に守秘義務があるなら、私はお引受けできません」ということだった。もちろん私は他人の個人的な事情について書こうとしているのではない。営利会社なら技術的な秘密があって当然で、それも会社の利益を守るために口外できないことである。しかし公的に発表してもいいことまで、圧力がかかるようなら、私は役目が果たせないという意味である。
お二人はともにそのようなものはない、と言明し、ことに斎藤氏は「ここまで来たらないでしょうね」と笑って言われた。
臨時株主総会と取締役会は10月28日に開かれた。「株主様」の代表はたつたお二人だけ。亀井大臣ともうおひとり。なにしろ株主はまだ国だけなのだから、こんな奇妙な株主総会もなかった。それ以来約1週間。私の中で日本郵政と言うところは、緩んだ組織だという印象ができかけている。私はまだ辞令をもらっていない。手続き上認められれば、それでいいじゃありませんか、と私は思うのだが、法的には書類がなければ、私は取締役としてあの建物に入る権利もない。
そんなことはしかしどうでもいいことだ。私が気になるのは、私のような素人に対しては、とにかく急遽、誰か若い人が、事業の初歩的な説明をしてくれるべきなのに、それを誰もしないことだ。14年前、日本財団の無給の会長に就任した時は、連日あらゆる部門と関連財団の業務内容の説明が行われて、私は疲れ果てた。
私には、未だに外部の人に手渡されるパンフレット一つ日本郵政から渡されていない。
従業員は25万人と言えばいいのか。
人件費・広告費は全予算の何%か、何一つ資料がない。たぶんインターネットで見ろと言うことなのだろう。しかし業務内容の説明なしに、社外取締役に何を考えさせようと言うのか・・・・・(以下略)」

以下は、同じ会社の退職者の感想だ。

私はこれを読んで亀井静香氏の強引なやり方の意図がよく分かる。
西川氏を強引にクビにしたやり方は、経済界ばかりではなく言論界からも痛烈な批判を浴びた。
その言論界からの批判をかわすために、評判のいい曽野綾子氏をプロテクターに仕立てたのである。
だから曽野綾子氏は単なるプロテクター的飾りものの任務さえ務めてもらえばそれでいいのである。
それにしても、不思議なのは、郵政事業をめぐる西川VS亀井の確執は連日新聞で報道されていたのに、曽野綾子氏ともあろう人が、知らなかったのだろうか。
それを確かめもせず、ホイホイと誘いにのったのは、お人よし過ぎたのではなかったか。
今はただ独裁者亀井静香に嫌悪感を抱くばかりであるが。

2009年11月1日日曜日

アッシジ イタリア


このサン・フランチェスコ聖堂(写真では、白色の大きな建物)のあるアッシジは丘の上に建てられた都市。今朝の新聞に掲載された写真を見て思い出した。半日滞在して聖堂を見学した。日本人牧師が案内してくれた。あの時に見たフラスコ画は地震で壊れたと聞いた。今は修復されたとは思うがどうなのか分からない。

昼食後、しばらく石畳の町中や裏道を歩いた。実に静かで、しかも中世の建物をそのまま残していた。せめて一晩は過ごしたかった街だ。ただ、夜は、魔物が出てくるかも知れないかも。

街の上から見下ろす丘の斜面はオリーブの木が茂っている。強く印象に残っている町だ。