2009年9月22日火曜日

シンガポール

今乗っている車の季刊誌が送られてきた。「クリーンで、しかもグリーン」な国家を目指すシンガポール。
上の写真は、私たち夫婦が1987年ごろからしばらく住んでいたマンションだ。このときでもクリーンだった。歩いているときは、もちろん屋台で食事をしているときに、唾を吐くと罰金。衛生上良くないとして、屋台はどんどん無くし、集合住宅の一階に強制的に移動させていた。よく行った屋台が集合した観光名所ニュートンサーカスも今はないようだ。Google Mapで探したが見つからない。

このマンションに入る時に、不動産屋から言われた。ベランダに置く花鉢の皿に水をためて蚊を増やさないように気を付けてくれと。もちろん、殺虫剤は定期的に巻かれていた。だから、裏のプールで泳いでいても蚊にかまれたことはない。なんと、いまは「遺伝子を組み換えて蚊の羽音を変え、オスがメスの嫌うシグナルを出すようにする研究まで行われている。」

シンガポール全土に生えている樹木はすべてID番号が付けられ、国が一元管理しているとその当時聞いた。その延長線上にあると思われる新しいプロジェクトが進められているとのこと。「アレクサンドリア・リンク」だ。シンガポール全土に全長150キロの遊歩道を張り巡らせる。ビーチ、コンサート・ホール、森、高層ビル、草原、住宅地がすべてがつながる。都市部の日常生活とカントリーライフが一つになる。これを10年以内に完成させるそうだ。シンガポールならばできると思う。その時まで生きていれば行ってみよう。

しかし、下の写真の島に毎朝小さな船に乗って行っていたようなロマンはなくなるだろう。船の船頭は、マレーシア人で船の中で時間が来ればメッカに向かって祈祷していたことを思い出した。もうひとつ思い出したのは、船乗り場にあった中華料理店の蒸した海老(名前が思い出せない)。いくらでも食べられた。船着き場の広場(ここに車を一日中駐車する)で売っているいろいろな果物、たとえば、ライチ。新鮮だからおいしい。こんな風景がみんななくなったのだろう。すごく寂しい。
いまはこんなハイウエーができていることを知った。この道路を使って島に入るには特別に許可されたパスがいるようだ。私が勤めた工場の中に道路が走っているのだからパスは当然だろう。船で渡っても検問所で社員証を見せることは当然だった。セキュリティは、厳格なのは昔からだ。

それにしても、一人当たりGDPは世界2位となったシンガポールに比べ、日本の衰退はひどい。シンガポールに教えることはいまは何もない。むしろこちらが教わる方が多いのではないか。何とも情けない。

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